このところ、秋田で見たい映画が上映されなかったので映画館にご無沙汰していましたが、9月に、『ぐるりのこと』と『おくりびと』の2本を見ました。
10月には、『コドモのコドモ』『歩いても歩いても』と映画館通いが続きそうです。
映画館は、子どもの頃からとっても『好きな場所』。
私が小学生だった頃、家が自営業で映画ポスター掲示をしていたので、毎回、無料招待券をもらって、親に連れられ映画館によく通いました。
それしか、娯楽らしい娯楽がなかった時代だったと言えますが、当時の映画館は活気にあふれ、人間の息吹とふれあいを共有できる華やかな場所でした。
自営業は3年ぐらいで潰れたので、中学生からは、お金を払って一人でよく映画に行きました。チャンバラ、西部劇、何でも見ましたが、真っ暗の中で人目を気にせず、笑い、泣くことが出来る映画(喜びも悲しみも幾年月など)が好きでした。
さて、上記の二本とも、夫婦、親子という家族を描いた映画です。
ささやかに生きている日々の暮らし、予期せぬ出来事の中で、夫婦、親子、その関わりをしみじみ、たんたんと描いています。
派手なアクションはないけれど、誰にでも起こりうる現実感と夫婦、親子の思いのすれ違い、誤解で気持ちが離れるが、本心にふれていく姿が共感を呼びます。
私の好きな歌の一節に
人として生まれて 人として生きる
幸せになるために 人は生まれてきた
めぐり会い紡いで 育んだものは
哀しみや涙でなく いつも変わらない愛
心まで捨てないで 君の明日が泣いている
優しさを止めないで 愛の形を支えて 「梅原司平 人として」より
これを書いているとき、福岡で小学1年生の殺人事件が起きました。
持病のある母親と発達障害のある子どもの言葉の行き違いが、この悲しい出来事を生んだかと思うと、とても胸が痛みます。
夫婦、親子だからこそ、そのときの感情だけで言葉をぶつけたり、逆に、本当のこと、本当の悩みが言えない、言わないことがあります。
親も子も生きづらさが広がっている中、言葉は「暴力」となりやすい。
本当の気持ちと口に出た言葉が、かけ離れていることは良くあることです。
相手の「本心」を知ることは努力のいることです。
だからこそ、心を捨てない、優しさを止めない努力を続けたいと思うのです。
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