先月23日に、東京・江戸川区で小学校1年生が、「食べるのが遅い」と正座させられ、父母から平手打ちなどの暴行により亡くなるという痛ましい事件が報道されています。
この事件も「しつけのために叩いた」と親は「しつけ」を強調していますが、同時に関係者の対応も問われています。
と言うのも、昨年9月に、虐待が通報され、子ども家庭センターや学校で見守りが必要と判断されていたにもかかわらず、関係者の連携が悪く、情報が共有されなく、最悪の事態を迎えたからです。
また、この事件を受けて、警察庁は、組織的な児童買春や人身売買などに関する有力情報提供「匿名通報ダイヤル」に児童虐待を含めることを決め、通報者に最高10万円支払うことにしました。
児童相談所が対応した虐待件数は全国で約4万2千件、そのうち強制立入調査は2件だけ。
一方、3日に1人は、虐待で亡くなる子どもがいるという現実。
そして、虐待で亡くなる子どもがいる度に、マスコミ報道があり、様々な課題や対応の不備が指摘され、厳罰主義が強調されます。
確かに、虐待は許せない行為であり、防止すべき重要課題です。
今回の事件も、報道によれば、子どもは前から多くの「助けて」のサインを出しています。
しかし、子どもの「パパはいじめていない」と親をかばう言動や、親から「頭痛で(学校を)休む」という欠席理由が明確なため対応が手遅れとなりました。
虐待と「しつけ」の違いは、難しいものがあります。
虐待か「しつけ」の違いは別にして、「叩かなければ、分からない」「甘やかすとつけあがる」「どこかで、けじめをつける」「みせしめが必要」という考え方は、ほとんどの人が持っているのではないでしょうか。
ちょうど、時期を同じくして、盛岡の児童養護施設「みちのくみどり学園」に入所している児童虐待を受けていた子どもたちの「受難と再生」のドキュメンタリー映画『葦牙(あしかび)』を観ました。
みちのくみどり学園の子どもたちの7割は虐待を受けた子どもたちです。
通報や厳罰も必要ですが、どう子どもたちの未来、生命力を回復していくのか、親と子どもの家庭を再生していくのか、難しい問題ですが、そのことを真正面から受け止め実践している関係者がいるということにどんなに勇気をもらうことでしょうか。 子どもの本当の「こころ」を知る努力を重ねることの大切さを知らされました。
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